2008年10月25日(土) 大阪狭山市山本 抜魂式
10月26日土曜大安、この日は山本の抜魂式が行なわれました。
9時過ぎ現地到着。すでに地車は搬出場所へ向かっていました。
昭和63年(1988)10月池内工務店にて新調。彫師は、中山慶春・木下賢治。
切妻、見送り式採用
縁葛及び枡合部分は牡丹に唐獅子
9時55分、搬出場所付近までやってきました。
10時過ぎ、抜魂式が行なわれる敷地内へ。
10時50分より抜魂式
銘板には、昭和六拾三年拾月吉日とあります。
棟梁さんのお姿も。
この後、鳴物・箱棟と取り外し搬出へ。
私はここまで見て帰宅。
個人的に山本の町名旗は好きです。
「東西」と横書きに書かれその下に縦に「山本」と刺繍されているのが目を惹きます。
最近新調されたように見受けられますが。
山本・隠は複合氏子で祭礼初日に陶荒田神社へ宮入を行ないますが、2日目にも大阪狭山市の三都神社へ
山伏と伴に3台で宮入を行ないます。
山本は大阪市山本の本村で、枝村に隠と山伏がある。
現在の山本は、北・中・南・東に分れている。
かつては、山本中周辺の口大野(くちおおの)・南周辺の山本・東周辺の山伏(やまぶし)の3つより成っていた。
山伏は山本から分かれたとされ、山本を上山本、山伏を下山本とも云った。
又、口大野と堺に隣接する地域を隠と云い、ここからは金剛山が見えないことから金剛山隠とも云われた。
隠の掲示板等には隠東西自治会と書かれているが、山本が何故「東西山本」というのかが気になるところです。
山伏の町名旗。紋には菊水が使用されています。
山伏の幟はあっさりとして好きです。私にとって幟旗の雛形となる縦横大きさ・体裁具合です。
特に御祭礼の特徴的な書体が好きですね。(鶴原町、高磯、諸口、包近町もこのタイプの書体かと)
山本の幟旗の御祭礼の書体も昭和後期の大修理ブーム時?によく採用された書体だと思います。