2007年8月26日 岸和田市岡山山出小路 帰町・入魂式
今回の修理にて、台輪が追加されました。
6時現地到着。すでに地車が降ろされていました。
すると、後では新しい幟を持った方々でいて、前では、交差旗の調整をされていました。
破風下の交差旗の金具は昨年からあります。調整が終わると一旦取り外し、鳴物を付けます。
二重破風。これは平成10年の大修理以前より二重破風でした。
(虹梁と組物の間のこのクビレが具合がイイですね。)
最近、台輪に興味を持ち出したのですが、台輪にも幅の広い物から数センチの物まで色々ある様です。
山出の場合は、枡合と同化するような仕様で、中心が少し盛り上がって楕円形になっています。
台木が綺麗になっているように見えました。
平成10年にすでに交換しているかと。
今回、水桶も新調されています。流行?の長桶。
中心部には、意匠が彫られています。これも最近よく見ますね。
松良受けの内部は通常と少し違い?、波のような形状になっています。
新調された幟、両面はロゴ・字体伴に異なる意匠になっています。
幟の高さ調整。予め竹筒を長めに取り、最適な長さに切り調整します。
地車庫の少し山側では、町の役員さんの方々が待機しておられました。ここで式典を行なう様ですね。
三方正面は、槍仕様。これを採用する町も増えてきました。
町名旗の裏面もイイですね。裏面バーションの後姿も見たいです。
交差旗は、昨年からこの交差旗を付け始めました。ちなみに、今回、水引幕が新調されています。(以前は、白のチチでした。)
7時半、お払い会場まで地車を移動させます。纏が先導。
と、ここぞという時に、「メモリーの容量が一杯です」の表示が・・・なにぃ〜!!段取りワル!(悲劇)
地車は、少し登った所の坂の下付近でUターンして所定位置へ持ってきます。
この後、神主さんによる神事。7時45分、現地を後にしました。
今回、山出の皆さんは正装での参加でした。
法被も紺色なので、後旗も紺色に合わせたのでしょうか。この「梅鉢に鈴」という意匠が至るところに配され強調されております。
(地車庫は、H13年の時点では、シャッターだったが、現在は観音開きに変わっています。)
↑昨年(H18年)の模様。金綱の納まりも良くなったのでは。幟旗も以前は、「山出」と刺繍されてました。
(岡山三小路は、吹きチリを付けないのが慣例の様です。)
山出小路の地車は、昭和14年(1939)新調。
大工:絹井楠次郎、彫師:木下舜次郎・松田正幸。
本年で、新調68年目を迎えます。
平成10年(1998)、大下工務店にて大修理。10月4日入魂式。
*山出小路の地車と、東出小路の先代(現、高石北村)の地車は、大工・彫師伴に同じで兄弟地車と云われる。小屋根枡合3方は、同じ図柄。*
<北村に渡る前は、両町二重破風だった。>
帰町の際、普段は時間に余裕をもって行くんですが、大概トラック待ちになります。なので、今回は時間通りに行くと、すでに地車が搬入されてました。
これも運次第ですね。どれだけタイミングに恵まれているかに尽きます。
番 外
高石北(七区)
昭和14年(1939)新調 大工:絹井楠次郎 彫師:木下舜次郎
主な行事 | |
昭和63年(1988) | 購入により大修理。10月吉日入魂式。吉為工務店 屋根(二重破風→入母屋)・台木新調、松良(未完成) |
平成元年(1999) | 本年改めて入魂式。5月3日。松良完成 |
平成3年(1991) | 吉為工務店にて修理。 |
平成4年(1992) | 「北賛会」より、「北村」に改称。 |
平成5年(1993) | 吉為工務店にて修理。7月25日入魂式 |
平成14年(2002) | 植山工務店にて修理。5月19日入魂式。(締め直し) |
平成18年(2006) | 北村歴史写真展を開催。7月2日。 |
来年、地車購入20周年を迎えます。
(余談ですが、現存する地車の大屋根正面で、絹井系?の独特な破風の形状は、北村と嘉祥寺くらいではないでしょうか。)