最初の北進後、そのまま、清水は側道へ進み、清水町内に帰って行きました。市脇はその後、北詰でUターンして、南進。

   

   

   

合計2往復して、サティ裏の道を通り帰って行きました。

11時を以って無事終了。一旦閉じられ、午後3時の一般開放を待つばかりです。

   

幟旗真新しかったです。

   

   

 清水の地車は元、東羽衣先代。橋下は幟を外さなくてはならず、これ以上地車が大きくなると通れない可能性もあります。
清水の皆さんは、「清水」と染め抜かれた法被が2種類の他に、地車に携わる年配の方々は「学文路(天満宮)」という法被でした。どういう運営組織になっているのかが気になります。

(行き帰り、小田原の地車庫が開いていることを期待してましたが、どちらも開いていませんでした。しかも清水の地車のいいアングルが撮れなくて残念)