その2

  

8時7分、並松町の登場。

  

大正10年(1921)新調、本年で新調86年目を迎えます。

  

平成13年(2001)7月大下工務店にて大修理。姿見一変しました。

  

8時11分、沼町が来ました。

  

平成14年(2002)新調。本年で新調5年目を迎えます。

  

  

8時15分、筋海町が登ってきました。

  

昭和8年(1933)新調、本年で新調74年目を迎えます。

  

本年の曳行責任者のお方は、隆匠の棟梁さんでした。(H17年隆匠にて修理。現在の姿見となる。)

  

8時19分、別所町が来ました。

  

大正9年(1934)新調、本年で新調73年目を迎えます。地車復活して今年で5周年。

  

8時22分、殿の藤井町の登坂。

  

平成5年(1993)新調、本年で新調14年目を迎える。

  

本年7月、あまの地車製作所にて大修理。

(太鼓橋を下って行く瞬間は、圧巻です。沼町はメッチャ早かった。)


天神7町交流会

今年でちょうど10回目を迎えるそうです。

  

太鼓橋側に「藤井町と筋海町」。体育館側に「下野町と別所町」。臨海側に「並松町」。春木側に「沼町と春木南」が地車を据えます。

  

8時30分、春木南が各町迎える中堂々の登場。そして、挨拶の後、纏の競い合いが始まりました。

  

この後、7町全町(*)が連なって武部まで来て、右折。カンカン場→小門→武部右折と連続して地車が来ます。

小門から武部右折(イズミヤ方面)は珍しいコース取りかと。やりまわしをしない町もありました。

 

*春木南は、カンカン場→小門で、武部直進で帰って行きました。

(又、武部から吹きチリを付けた地車が並ぶ風景は、中々のモノです。)


太鼓橋周辺には、特別仕様のゴミ箱を発見。「天神34年会」と書かれていました。


ここでの交流会、地車の廻りは、団子状態で見ている側は各方面への移動は不可能とって言いほどゴッタ返していました。
(ウマイこと道さがして迂回すれば、なんとかなるかも。撮影も難しかったですね。)