2007年10月13日(土) 大阪狭山市祭礼

今年も狭山の祭礼を見に行って来ました。今熊は2年連続です。


7時30分頃、三都神社へ到着。関係者の方々は、境内に上がっているようで、地車の廻りはひっそりとしていました。

  

8時を過ぎると関係者の方々が集まってきました。

  

今熊さんは、若頭を結成して今年で7年目だそうです。
(ということは地車を大修理して完全な泉州式地車・曳行になったH13年と同年になりますね。)

  

大修理前の1、2年は曳行をお休みしたとも仰っていました。

  

8時42分、出発していきました。

  

陶器の隠・山本、狭山の山伏は、この翌日(本宮)に宮入。宮入後、そのまま狭山連合パレードへ参加という形を取っている様ですね。

今熊 地車考察 2007.ver


続いて、川向へ。(川向を含む狭山神社の氏子は初日に宮入します。)

  

川向の会館横の予定表を見て現在地を探すことに。9時3分、しばらく探すと公園で出会いました。

  

9時17分、公園を出発。

  

公園の出口辺りで、行ったり来たりしていました。

  

大屋根拝懸魚と小屋根拝懸魚は、松良でよく見る図柄かな。

大屋根・小屋根平は枡合形式。大屋根正面は車板。虹梁も立派なものでした。

  

平小屋根枡合

  

平成3年(1991)9月29日新調入魂式  大工:池内幸一 / 彫師:筒井伸、岸田恭司、野原湛水
10年後の平成13年(2001)10月8日修理入魂式。

  

後土呂幕 と 正面土呂幕

見送り式の折衷型ですが、欄干部分は石川型(俄台)の要素も取り入れられ、通常より欄干は前部に出ています。


余談ですが、川向という地名は旧称で現在の半田の一部に当たります。(現在の半田は、北村・浦之庄・前田・東村・川向より成っています。)

同じように、現在の山本も、山伏(下山本)・山本(上山本)・口大野(隠)より成っています。
又、口大野と堺の隣接する部分を、隠と云いここからは金剛山が見えないことから、金剛山隠と云われるようになったそうです。

今熊も、上今熊・下今熊・三津屋より成っています。

(隠・山本の町名旗には、東西という文字を関していますが、これについては不明です。)