その4
15時46分、橋本駅へ初入場。
片道2時間ほどの道のりでした。
駅ロータリーへ入ります。
橋谷も入ってきました。
待機位置へ地車を据えます。
15時53分、橋谷も定位置へ。
ここで提灯を付けます。
16時の時点では、まだ御幸辻・橋谷・古佐田の3台のみです。
16時8分、市脇の地車が来ました。(昨年は17時提灯を付けての入場でした。)
市脇は、購入3年目。
16時10分、本年5月に入魂式を行なった原田の地車も来ていました。(元、岸和田市積川橋室地車)
現地車は、明治28年(1895)新調。本年で新調112年目を迎えます。
市脇の地車は、昭和11年新調(1936)。今年で新調71年目。
半田町時代、S58年に大修理(枡組を追加して切妻から二重破風になる)。H9年の修理時に現在の一重破風になりました。
私は16時22分一旦離脱。夕飯へ。
駅付近の○ーミアンで夕食中、泉州の鳴物が聞こえて来ました。市脇だったのかな。
市脇の幟旗に配されている意匠は、「本」の廻りに「み」が8コで、相賀大神社の宮本である市脇を示していると思われます。
そしてそのデザインは青年団・十五人組の法被にも採用しています。
又、役員(世話人)の方の法被は黒で違うデザインになっています。前梃子(若頭)の方は役員さんの法被の色違いですね。
原田は本年、法被を新調。後梃子の方々の襟(エリ)には、拾伍人組と書かれていました。
橋谷は、青年団・後梃子の方々伴に、襟に桜梅会と書かれています。(大工方のハンテンにも、桜と梅の紋があしらわれています。)
御幸辻は今年、若御会という組織を設立。鳴物・後梃子の方々がこの襟をつけていました。
これとは別に橋本だんじり協議会には「若連中」という連合組織?がある様です。
こちらは、御幸辻の小屋根懸魚
先代葛城町地車同様、宝船が配されていますね。
(ちなみに大屋根後のゲンギョも、先代葛城町同様ウサギです。)
↓ 下は先代葛城町の小屋根懸魚
寺門町の地車も宝船が入っているのかな。